俳優の中村ゆりさんが直腸がんの為、亡くなりました。

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中村ゆりさんは数々の映画やドラマに出演されていましたが、日本生命のCMで中村さんを知った方も多いのではないでしょうか。

中村ゆりはんは終幕のロンドでは風吹ジュンさん演じる母親役が末期がんの役、平場の月では姉役の井川遥さんが大腸がんの役…
オファーを断ることも出来たはずなのに向き合ったんでしょうか…凄い女優さんです。
頭が上がりません。
中村ゆりさんの生前のエピソード
① 芸能界を目指した理由に、母への思いがあった。
母子家庭で育ち、経済的に母を助けたいと考えていたという。自分にも挑戦できるかもしれないと、オーディションへ。華やかな世界への一歩には、家族を支えたい気持ちもあった。
② 女優になる前に、歌手としてデビューしていた。
「ASAYAN」のオーディションを経て、1998年に友人とのデュオ「YURIMARI」でデビュー。今の落ち着いた役柄からは想像しにくいが、芸能生活の出発点は音楽だった。
③ グループ解散後、一人でニューヨークへ行った。
本人によると、約2カ月滞在し、ブロードウェイやオフブロードウェイの舞台、美術館を巡った。次の道が決まっていない時期に、自分の足で知らない世界を見に行った。
④ 元アイドルでも、アルバイトでは年下に叱られた。
芸能活動を休み、ハンバーガーショップで働いた。18歳の自分が、レジの失敗で16歳の先輩に怒られる。本人はその経験を、お金を稼ぐ大変さが分かって良かったと振り返っている。
⑤ たった2シーンの出演が、人生を動かした。
映画のオーディションに誘われ、わずかな場面に出演。完成した作品を観て、映画づくりの一員になれたことに強い充実感を覚えたという。そこから、芝居に夢中になっていった。
⑥ オーディションで、監督の前作に悔しさをぶつけた。
『パッチギ!』の感想を聞かれ、自分がその作品に出ていないことが悔しかったと伝えた。取り繕うより、出たいという本音をぶつけた。その続編が、女優として大きな転機になった。
⑦ 2200人以上のオーディションから、ヒロインに選ばれた。
『パッチギ!LOVE&PEACE』でキョンジャ役を獲得。本人は、現場を経験できるなら1シーンでも良かったと語っている。小さな出番でも欲しいと願った作品で、重要な役を任された。
⑧ 撮影前の電車で祈るほど、必死に役へ向かった。
井筒和幸監督の現場では、厳しい指導を受けた。いい芝居ができるよう願いながら撮影へ通い、最後まで食らいついたという。その作品で、新人賞や女優賞を受賞した。
⑨ 役のために、昔のグラビア雑誌まで研究した。
『パッチギ!LOVE&PEACE』では、芸能界に入る女性を演じた。撮影に向けて当時の雑誌を集めてもらい、ポーズを研究。時代の空気を出すために、細かな見せ方も準備していた。
⑩ 中国語の演技を、スタッフが拍手するまで練習した。
『クロサギ』では、中国語が堪能な女性を演じた。日本語にない発音に苦戦しながら、繰り返し練習。現場でスタッフが拍手して喜んでくれたことが、励みになったという。
⑪ 自信を失っていた時期に、重い役へ挑んだ。
『ただ離婚してないだけ』に出会う前は、役者として行き詰まりを感じていたという。妻・雪映の変化を演じる中で、もっとこういう仕事がしたいという思いが戻った。難しい作品が、次へ進む力になった。
⑫ 分からない役には、すぐに返事をしなかった。
『嘘八百 なにわ夢の陣』では、台本を読んでも役を理解しきれなかった。そこで監督と話す時間をつくってもらったという。引き受ける前から、どう演じるかを真剣に考えていた。
⑬ 苦手な役も、避けずに経験してきた。
本人は、得意ではない役にも挑戦してきたと語る。毎回うまくできたわけではない。それでも準備を重ねることで、少しずつ演技の引き出しを増やしてきた。
⑭ 経験を積んでも、スタッフの厳しい指摘を歓迎する。
京都の撮影現場では、カメラマンから、そこで瞬きをしないほうがいいと助言された。本人は、役のためになるなら遠慮なく言ってほしいという姿勢。細かな修正も、芝居を良くする材料にしていた。
⑮ 仕事を詰め込むだけだった自分から、休める自分へ。
若い頃は、予定が空くと仕事を入れてほしいと頼んでいたという。経験を重ね、休んだほうが良い仕事につながると気づいた。長く続けるために、自分の働き方も変えてきた。
中村ゆりの歩みで印象に残るのは、自信がない時期にも、準備と挑戦を続けていることだ。静かな佇まいの奥にあるのは、何度も分からなさや悔しさに向き合ってきた粘り強さなのだと思う。
◆以下、所属事務所発表全文
9月1日 中村ゆりが直腸がんのため永眠いたしました。生前のご厚誼に感謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます。
近親者、弊社俳優とスタッフで葬儀を済ませましたことをご報告いたします。
中村ゆりは、13年前にもがんを患いました。その時、社長と彼女は、「病名は、仕事の方々には余計な心配をおかけしてしまうので、言わないようにしましょう」と話し、その後寛解、元気に大好きな仕事を続け、検査も欠かさずに受けておりました。
しかし昨年1月再びがんが見つかり、手術は成功したものの、術後に転移が見つかりました。その時点で根治・寛解を目指すことは難しく、がんとうまく付き合っていくための治療を続けながら、より長く、生き生きと良い人生を歩むことを目指すことになりました。
彼女はこの病気についてとても熱心に勉強し、主治医からも仕事を続けることを勧めていただいておりました。
しかし、今年8月、復帰に向け回復に努めていた中、再び腸閉塞を起こし、突然余命わずかと告知を受けました。
彼女は落ち着き、美しく優しさにあふれた笑顔を絶やさず、ご家族や近しい方々と共に最後の時を大切に過ごすことができました。
彼女の30代、40代は病とたたかい、持ち前の強い気力で乗りきることも多い日々でしたが、素敵な出会いと幸せ、充実もまたたくさんありました。
これまであたたかく応援してくださったファンの皆さま、お世話になりましたスタッフ、共演者の皆様に改めて心より感謝申し上げます。
尚、ご遺族への取材や、自宅周辺での撮影は一切ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。何卒ご理解とご協力をお願いいたします。
中村ゆりさんのご冥福を心からお祈りします。

