チェンソーマンで有名な藤森タツキ先生の、新作漫画「さよなら絵梨」
感想とネタバレを書いていきたいと思います。
★画像は、電子版のジャンプ「さよなら絵梨」からお借りしています★
主人公は優太。
優太の12歳の誕生日。
優太はスマホで家族や誕生日ケーキの動画を撮影しています。
カメラ越しのお母さんは
「優太、お母さん病気で死んじゃうかもしれないでしょ、そのとき優太はどうおもう?」と尋ねます。
突然の質問に、「いま考えることじゃないとおもうなー」と答える優太。
優太のお母さんは優太に、もし自分がいなくなった時にいつも見返して思い出せるように、自分や家族の動画を優太に撮影してほしいと頼みます。
その日から優太の撮影は始まります。
楽しいことや面白いこと母の様々な表情を撮る優太。
そんな中、母は入院します。
優太の母は本当に病気でした。
母は日に日に弱っていきます。
母は優太に自分が死ぬ瞬間も撮影してほしいといいます。
お母さんの最期を看取るためにお父さんに連れられ病院にいく優太。
優太は病院から逃げ出します。
逃げ出した優太の背後の病院が爆発しました。
場面は変わり、学校の体育館。
病院が爆発するまでの一部始終は、なんと優太が作成した映画でした。
優太は、母親が泣くなるまでを撮影した動画をまとめ編集し、ラストに爆発の演出を加えて映画にしました。
学校のみんなは優太の映画を批判しまくります。
最後の爆発が不謹慎、理解できない、
母親の死を冒涜している、、
など、様々な批判が優太の耳に入ります。
母を亡くしたあと、夏休みを全てかけて自分が一生懸命作成した映画を批判された優太。
優太は自分も命を絶とうと思い、母が亡くなった病院の屋上に登ります。
「飛ぶの?」女の子の声が聞こえました。
驚く優太。
女の子は絵梨という名前でした。
絵梨は優太と同じ学校で、優太を知っていました。
絵梨は優太の手をひっぱり、とある廃棄の様な建物に連れていきます。
そこには携帯映写機とソファがあり、
絵梨と優太はふたりで映画を見始めるのでした。
映画がおわると、絵梨は皆からは批判された優太の映画をとても面白かったとほめます。
それと同時に全校生徒の中で泣いていたのは自分だけだったのが悔しい、とも言います。
絵梨はこれからは自分が優太のマネージャーをし、来年の文化祭で優太がみんなを号泣させてみんなを見返せるような、そんな映画をとる手伝いをするといいます。
優太もその話に乗るのでした。
優太と絵梨の映画づけの生活が始まります。
数ヶ月がたち、、
絵梨は、「そろそろ映画のプロットを作ってもいいかもね」と話します。
プロットとは台本を書く前のおおまかなストーリーのあらすじです。
優太は何度もプロットを書いては、
普通、つまらない、と何度も絵梨にダメだしされます。
そんな中、自信をなくした優太は、一体自分の映画のどこが好きだったのかを絵梨に尋ねます。
理由をきいた優太はふたたびプロットを書きます。
再びプロットを書き終えた優太は絵梨に内容を話します。
それはこんな内容でした。
〜病気で母を失った少年が自ら命を絶とうとした時に、吸血鬼の少女にさらわれ、少女の棲家につれていかれます。
少女は1000年もいきていてついに命の終わりをむかえます。
少女は少年な自分の最期の姿を撮った映画を少年に撮って欲しかったのでした。
少年は亡くなった母の願いであった、最期の自分を撮ってほしい、という願いを叶えてあげられなかった自分を責めていました。
少年は、母の時にできなかったことを吸血鬼の少女の為にはしてあげたい、と考えます。
少年と女性は一緒に映画を見たり映画について話すうちに恋に落ちます。
吸血鬼の少女絵梨はだんだんと弱っていき、
少年は約束どおり少女の最期の姿をカメラにおさめたのでした〜おわり〜
優太のプロットの内容を聞いた絵梨は
「面白くなりそう」と笑顔を見せました。
少年役はもちろん優太、吸血鬼役は絵梨です。
役名もそのまま優太と絵梨にすることにしました。
ふたりの映画の作成が始まりました。
映画撮影は着々と進んでいきました。
そして最期のシーン
弱っていき入院した吸血鬼の少女絵梨は病院のベッドに寝ています。
優太は「絵梨はどんな映画にしてほしい?」と絵梨に尋ねます。
「それは最初から伝えてる通りで、みんなをブチ泣かして」
場面が変わり学校の体育館。
優太の制作した映画は、学校の文化祭で上映されていました。
生徒たちはすすり泣きをしています。
優太は絵梨との約束を守れてみんなを泣かせることができたため、ひとりピースサインを作っていました。
優太は、母のときに最期の姿を撮ってあげられなかったことを悔やんでいました。
しかし絵梨の最期を撮ってあげられたことで、
ちゃんと生きようと、また映画を作る自信をもらえたのでした。
〜END〜
絵梨の死後、実際の優太は、新しい映画を撮っていますせんでした。
優太は何度も何度も絵梨の映画を編集しなおしていました。
それが優太の習慣になっていました。
また場面が切り替わります。
場面は切り替わり、優太は絵梨と映画を見た廃墟にいました。
優太は少年ではなく大人になっています。
優太が語りだします。
「その日は、妻と娘と父さん、そして僕をのせ車が走っていた。
運転していたのは僕だった。
一瞬テレビを消した様に暗くなって。
気がつくと僕は病院の天井を見上げていた。
前を走っていた車の事故に巻き込まれたと説明を受け、そこで僕以外の家族が亡くなったと伝えられた
その結果もう、僕にはもう誰かの死に耐えられるほどの魂が残っていないことがわかった、
人生を終えるのは思い出の場所にする」
そう語り、死の準備をする優太。
「この頃より随分ふけたね」
なんと、そこには絵梨が座っていました。
絵梨はかつて優太が制作した映画を見ていました。
優太は絵梨の姿を見て自分の目を疑います。
絵梨は高校生の時のままでした。
絵梨は優太の映画を見て、恋人が死ぬ展開はありきたりすぎるからもう少しファンタジー要素が欲しかった、と優太にいいます。
優太は絵梨が自分にむけて話してることが、夢であるような心地から抜け出せません。
戸惑いながらも優太は「ファンタジーはあるよ、君が吸血鬼っていう設定にしている」と答えます。
すると絵梨はそれはファンタジーじゃない、と反論します。
優太は驚きを隠せません。
優太は「でも僕は君が死ぬとこを撮った」と言います。
絵梨は、吸血鬼が死ぬのは脳だけであり、記憶を失くした状態で肉体は何度も生まれ変わると、と説明します。
優太と過ごした前の絵梨が、手紙に一部始終を書いてくれておいたため、絵梨は優太のことを思い出すことができたのでした。
そして手紙と一緒に優太が撮影した映画も一緒においてあり、絵梨は映画を見ていたのでした。
優太は、そんな絵梨に尋ねます。
「周りの人間はみんな絵梨より先に死んでしまう、
そんな人生に君は絶望しないのか?」
絵梨は答えます。
「前の絵梨は絶望していたと思う。
でも大丈夫、わたしにはこの映画があるから。
見るたびに貴方に会える
私が何度忘れても
何度でもまた思い出す
それって素敵なことじゃない?」
「うん、素敵なことだ」
優太は答えます。
「私は映画は話しながら見たくないの、
座る気ない人は帰ってくれない?」
絵梨はいいます。
優太は納得したような表情で絵梨に別れを告げ、部屋からでていきます。
〜それから僕と彼女が会うことはなかった
映画を何度も再編集していた理由がわかったからだ〜
ふっきれたような顔で歩く優太の頭に
〜ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?〜
という絵梨のセリフが浮かびます。
廃墟を出て外に出る優太。
優太が出た後、廃墟は爆発したのでした。
★これでさよなら絵梨は終わりです。
たとえ1人になってしまっても、大切な人達の思い出があれば人は生きていける、
思い出すことで何度でも幸せな気持ちになることができる、
人間の心の温かさを思い出させてくれるそんな作品でした。
思い出す、、その為に、写真や動画は重要な手段だと思いました。
最後の爆発シーンは、「ファンタジー要素が足りない」という絵梨の希望を見事に叶えたシーンだったと思います。
個人的には、全ての過去を爆発させ想い出にし、また前を向いて歩いて行く優太の意志が見えたような気がしました。
どこまでが映画でどこまでがフィクションなのか、
現実はどこからかのか、、
人それぞれ答えが違う所もこの作品の面白さなのではないでしょうか。
こちらのあらすじには書いていない、
優太とお父さんの会話や、優太のお母さんの存在も大切なキーポイントになってくると思います。
お父さんは、お母さんの死後、優太に謝罪します。
まだ子供だった優太に、自分が死へ向かっていく動画をとらせたお母さんをとめることができなかったからです。
お母さんは自分の動画を撮らせる際に厳しく裕太に指導していました。
普通に考えると、自分の親が弱っていなくなっていく所を撮影するのは特に子供にとってはとても辛く残酷なことだと思います。
しかし優太は、お母さんを撮影したことをきっかけに映画を撮り、絵梨と出会うことができました。
厳しいお母さんでしたが、優太が映画を撮り、前を向いて生きていくきっかけになったのですから、それも、お母さんから優太に与えたひとつの愛のかたちだったのかもしれません。
皆さんも是非、「さよなら絵梨」の本編を読んで見てください。